うしのあゆみ

牛に育てられた人間が、暮らしの有象無象を記します。

久しぶりの日記

7時30分にiPhoneのアラームが鳴って、エアコンのスイッチを入れるべく、リモコンを手探り。3月になった東京の朝はまだ冷える。

コーヒーメーカーに、あまり好みではないコーヒーをセットして、水を入れ、スイッチを入れる。今日のボトムはジーンズ。上はプルオーバーのロングシャツ。寒さ対策にニットのカーディガン。ベージュのコートにリセッシュを施し、支度はできた。

顔の手入れ。髪を濡らす。明日は美容院にいって、1月のセルフカットの痕跡を消してくる。ドライしたらすぐに膨らむ。アイロンで軽く前髪を整えて、ヘアジャム。雨だからすぐにパーマがかかった。壊れにくい傘を携えて、玄関のドアをくぐった。

2月19日に読書記録をつけたから、このブログを見ずに過ごしていたけれど、それは、生活の路線を優しく変えてくれる出来事が同時に2つ起きたから、頭がそれに追いつくのに必死で、書くことができなかった。

何かを残すためだと思ってしまった。日記とは、何かを残すためのものだと思って、書けなかった。歩いているときに、これを書こうと思いつくことはあったけど、家に帰ると、さっきまでのそれは、どこかに消えてしまった。

生活を書き残すことに、自分のそれを書くことに、意味なんてあってたまるかよって話であったのに、忘れてた。ということで、生活のキメを整えることを目標に、3月は過ごすことに決めてから、もうすぐで10日となる。ご飯をしっかり作るのも続かなくて、それはもう、怠惰な生活っていうよりも、引っ越しを控えた忙しさみたいなものに由来すると思うんだけれども、定かではない。

通勤読書のための『生活の発見』は何を教えてくれるのかな。今日は隣の人がずっと帯文を読んでくるから、読書に集中できなかった。

仕事が変わり、人間関係が変わっていく2月は、史上最強に愛情深く、それまでの世界をかき回した月になったと思ってて、それは3月になってやや後方に去り、振り向けば遠くに見える場所まで来た。

この月の初めの暖かな兆しに乗っかるようにして、自分の周りがようやく芽吹いて来たようにも思える。変わっていくのではなく、刻んでいくようにして生きたい。なんてことを考えていたら、普通の道でこけた。