タフネスと毒。

丁寧な暮らしに潜む、タフネスと毒。

中学生だった

1月20日。東京はやや晴れ。

午前中に起きて色々やろうと思っていたのに、やれDLしたアプリはなぜかカメラを認証しなかったり、今日チョイスした服があっていなかったり、ここぞ!というタイミングで仕事をせねばならなくて昨日から用意していた予定をキャンセルしたり、まったく、本当に、クソみたいな1日って感じです。

しかし今日は絶対に親子丼を作るって決めていたので、親子丼を作りました。肉の臭みを消すためにぶち込んだスパイスのせいで、カレーみたいな味がしました。

 

あ〜あ、土曜日、休みの日だっていうのに、これという予定もないという土曜日。暇ではないのに、何もやる気がおきない土曜日。本でも読むかって感じで、ポテチを買ってきて、それを食べながら食べた。最高に美味しかった。

 

友人たちと、生活だったり、考え方だったりが重ならないままで生きているなって感じがする。思えば当たり前のことなんだけれども、地元が一緒であるとか、大学が一緒であるとかっていうのは、接点としてはあるとしても、重なっていくことは珍しさだろうというのを、噛み締めている。

子供ができるとか、結婚をするとか、そういう点的なイベントがなけりゃ、たぶん一緒にいることは難しい。たとえば中学の時の友人とは、ほとんどの人が自分とは重ならないわけだし、ああそれに、中学の同級生が一人亡くなっているのだった。

 

2年生の春のこと、山登りのイベントがあって、60名ちょっとで2クラス(小さい中学校だった)全員が山登りにトライしたことがあった。行きと帰りでルートが違っていて、帰りは険しい山道をジグザクに降りていくルートだった。

その険しいルートを下っていく最中。身体が不自由な男の子がいて、その子が難しそうにしているのを、何人かが助けていた。自分も近くだったので、手伝ったように思う。そのうち、女子だったか誰だかの間で「◯◯くんて、優しいよね」みたいな話になる。その水源が、うっかりクラスでけっこう人気だったみたいなことで、軒並み男子が彼を手伝いだした。荷物を持ってやる、肩を貸してやる。隊列を組み始めた。

それを眺めていたのだったか、自分も手を貸したのだったかは朦朧としているけれど、彼に手を貸した目的がどこかいやらしくて、そのどろっとした部分を今でも自分で覚えていて、胸が疼く時がある。モテたい。注目されたい。だから手伝うっていう論理。

その時手を貸した彼が、成人式の2年後ぐらいに亡くなったのだった。

 

その人の記憶をみんな持っているかどうかは知らないけれども、彼に色々な言葉を浴びせていたことや、彼の見る目が残酷であった時もあることを、常に忘れているような気配がある。だから中学校の人に会うのは、どこかに暗い部分が残っている。

思い出されるあの場面。モテたかったんでしょ?という、あなたと私との間では納まらない、取り返しがつかない部分があるよって。そういうのは、さすがに飲み会とかでいうわけにはいかない。

 

絶対に重ならない距離があるからどうというわけでもなく、ただ生きて元気にやってさえすれば良いと、1月になってから純粋に思えるようになった気がする。彼のことを思い出す度にそう思う。

会いたい人には合うし、相談したいことがあれば相談する。会いたいと言われれば会う。それだけだ。もう一緒に授業を受けることもないし、テストで競い合うこともない。部活が終わった後にアイスを食べることも、またどこかでとりとめもない話をすることもない。

それはあの頃に特権的なことだったわけではなく、ただそれしかすることがなかったからだろう。世界が狭くて、そこに居合わせた人が偶然にも「あなた」だったというような。ただ、それだからこそ、生きていなくては困る。他者も、友人も、モードだからだ。状態だからだ。その時々で、立ち現れるものだからだ。そういう人がいなくては、私の時間が立ち上がらない。人生の重みはあなた方友人たちの、モードの多様性に寄っている。

今いる友人たちがみんな死んでしまったら、自分が自分であることを、どうやって理解すればよいのだろう。

資格試験に落っこちたとか、留年したとか浪人したとかは知らん。そういう事柄は確かに、友人たちをその都度落胆させるだろうが、生きていてくれなくては困るというのは、自分からの切実なお願い。

一度でもいいからあの時何かをした記憶を持っていた、友人たち。先輩。後輩。彼らには、本当に頼むから、生きていて欲しい。それだけしかない。あとはもう、何があってもそれでいい。

ふと思い出した風景に、もう自然に生きているレイヤーのようなものが、とっくのとうに違うものだということを突きつけられた土曜日だった。何もないならないなりに、視点が行ったり来たりするものだな。明日はやや早く起きる。