タフネスと毒。

丁寧な暮らしに潜む、タフネスと毒。

集合場所の跡

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見慣れている風景ではなく、ここにはかつて畑があり、竹やぶの茂みがあり、そこがまた別の畑を隔てる仕切りとなり、また畑は、もうこの世にはいない1人のおばあさんが耕し、守っていた。

その畑で採れた野菜などは、おすそ分けしてもらっては食べたし、また竹やぶの目の前は、中学生の男子2名が寄り合う場所にもなっていた。

左に行けば自分の家、右に行けばもうひとりの家。同じバスで帰宅した後、カバンを家に置いて、ちょうど家からお互い半分の距離のここで、もはやうろ覚えの、話をたくさんした。

車が行き交う音、自宅から聞こえる機械の音だけで、それは2人の会話を全く邪魔することはなかった。繰り返すように話の中身はうろ覚えだけど、ほとんど毎日話し込んでいたように覚えている。

 

あれから2倍ほど、両名ともに歳をとった。自分は北海道の大学を出て東京で本を作り、もうひとりは地元の高校を出て就職をした。お互いに自由な趣味を持っていた、でも、片方は音楽で片方は釣りだから、そもそも関心がある場所がまるで逆だったのかもしれない。

だから、お互いが惚れ込んでいること以外で、何がお互いを引き留めていたのだろう、と考えている。

 

毎月、その方が地域の回覧板を届けに家にやってくるらしいことは、両親から伝え聞いている。でもその度に、ふーん、ぐらいの気持ちでラリーを返していて、だからと言って特段思う事もなし、で過ごしていた。

そして今日、家のそばを歩いていたら、かつての集合場所が消えたことに気づいた。キャンバスが、違う絵で塗りつぶされたような気分になった。

竹やぶも畑も随分前から無くなって、父親が牧草地にしていることは前から知っていたけれど、確実にあった目印となる場所が無くなっている。記憶のどこかを現在に引き連れて来たら、記憶だけがふわふわと空中に浮いているようだった。

昨日、気の知れた友人と出かけている最中に、もうひとりが家に来たらしい。

今日、少しだけ足を伸ばして挨拶に行くべきだったろうか、それとも、このようにやや湿度の高いブログを書くべきだったろうか、やはり結論は出ない。

 

単調な性格だったけれど、あまりにも弱かった己を見捨てることをしなかった人だった。ズボンに手を突っ込みながら呑気な話をしていた人だった。そのような人が、今も100m離れた「隣の」家で暮らしていることを、地元に帰っている時ぐらいは、温め直しておきたいと、どこか使命じみた気持ちになった。