Ammuu

都市と田舎の間で、考えながら暮らしています。

潔い言葉を今

散歩に出かけたら、首輪をしていない猫に遭遇した。やつは野良猫にしては毛並みが良く、でも首輪をしていないから飼い猫でもなかった。愛想よく一声二声鳴いて見せた後で、どこかの家のなかに消えていった。

 

***

仕事をすることに疑問を感じてしまっている。

目の前の仕事に追われ、そういった根源的な問いを手放してしまっては、何もかも遅い気がする。どんな有効性があるのかとかいう客観性を持たせようとする勝手な主観を払いのけて、今日も悶々と考えて気がついたら夜を迎えていた。

 

結局今は、当初の希望とは全く違う仕事をしている。この仕事から学ぶことは多くあって、そして上司を不満に思う邪さが常駐化した今となって、さてどのように行く末を見つめることができるだろう。

そういう意味では『新しい分かり方』は、そもそも「分かる」という体験を見つめ直すには画期的な企画じゃないか!ある物事同士を分かつ法則性をどのように設定するか、また何からそれらを判別できるかという問いが、本当に体験できる本にするのって、そう簡単なことではないからだ。アイデアの力ってすごいです。

新しい分かり方

新しい分かり方

 

イデアといえば『アイデア大全』があるけれど、あれは何かやるべきことが見えていて、本に乗っている考え方のヒントをぶつけることができる思考がすでに存在している時に、とても有効な手段なように思えた。アイデア大全は、読書猿さん。

 という感じで、こうアイデア関連の勉強をしているのは、デザインの思考法を勉強しているからなのだけれども、要するに絵が上手になればいいんじゃない?という安易な考え方もある。

というのはどの作業にも「視覚化」が要求されるので、図面で指示をしたり、あわよくば「表現」できる能力があることは、何につけても便利なものとなるはずだからである。

絵はすぐに上手くならない

絵はすぐに上手くならない

 

 

と言う感じで読書は進んでいくけれど、本ていいですよねって言い続けた人は、そういえばこの間なくなってしまったのだった。その方の告別式では、次の絵本が朗読されたそう。『木を植えた男』

木を植えた男

木を植えた男

 

 一つの心で、あることをやり続ける人の直向きさがまっすぐに読者を打つので、読み手に必要なのは、その衝撃に備えることだ。

多くの人が物事に飽きてしまうように、それは飽きてしまった物事を、引き受ける準備ができていないからかもしれない。それか、軽やかに三日坊主になれる根性を備えていないから。

ある人が言っていた。基本的に人間は保守的であると。それは確か、最近読んだ『橋を渡る』の誰かが言っていた言葉だった。

変革を望まない人々がいる。彼らは、不感の湯に浸かっていて、お湯の温度を上げるにも下げるにも、それを回避しようとする。

 

そういえば『橋を渡る』はそういう場面がいくつもあった。ある失敗があり、人はそれを真摯に受け止めようとせず、まずは「どうしたら失敗を回避して、無かったことにできるか」を考えようとする。

失敗を正当化できる文言を考えようとする。政治家のヤジが音声として記録されても、それを隣で聞いた政治家が押し黙っている。

 

ある失敗を無かったことにしようとするように、変革も無かったことにしようとする。記録はみんな抹消されて、記憶からも消される。そうしてまた白紙に戻って、新しいニュースを刷り込めば、そちらに目がいく。そういう大衆に、吉田修一さんは果たして何を言いたかったのか。

橋を渡る

橋を渡る

 

先月の半ばぐらいに会った友人の言葉がずっと好きでいる。

酒の席で、3人でスタートした飲みから1人が帰ってしばらく、ラストオーダーが止まった。氷が溶けて、追加できない薄くなったカシオレだかをすすりながらの、一言だった。それがずっと好きだ。静かに、短かったけれど「俺、これが天職なのかもしれないって思ってんだよ」と言ったその一言が、本当に好きだ。

重みがあるとか無いとかではなく、ようやく何かの緒を見つけたような潔さがあって、それがとても暖かだった。最後にそれを書いておきたかった。わかるというテーマに、それが今もっともふさわしいのかもしれないと、2000字とかを書いた後で、思い直してみている。