タフネスと毒。

丁寧な暮らしに潜む、タフネスと毒。

勘ぐる

9月ぶりの3連休が、例に漏れずってことで、またあっという間に過ぎようとしている、体育の日の午後。午前中に新米と受け取って、ZOZOの引き取りを済ませて、布団を干した。

誰と過ごしているわけでもない、今日は完全に一人なので、発する言葉も少なげに、実家から届いた梨の皮を剥いて、ベランダで秋風を受けながらかぶりついた。なんて優雅な1日であろうか。

https://www.instagram.com/p/BaBKzrtn65f/

***

昨日、高校の友人と遊びに出かけた。行き先を連絡されたのがおとといの夜遅くだったから、あまり気乗りはしていなかったのが正直なところだったけど、その友人から声がかかること自体珍しいことだから、他に予定は入れないことにして、出かけることにした。

東京の外れの方にある観光地。いざ到着してみると、自分らのようなのがたくさんいた。家族で来ているもの、犬を連れているものと様々で、それらが列をなして歩く。波に乗るように自分らもそこに入って、ずんずんと歩く。

東京を眺めても、大した感慨が生まれてくることもなく、なんか完成された風景が広がっていた。展望スペースらしき場所から広がる風景は、まさにそれを見せたいがために、周りの林に手が加えられていたし、水が180円とかする。

 

帰りにご飯を食べて、少々お酒を飲む。話はあっちこっちに飛び、しかし絶対に深入りはしないような、そういう気を使わなくちゃならないムードがどこかにあって、それが疲れを呼んではいないかと、気になってしまった。向かいのその人は、あまり気にしないようにご飯を食べていたけれど。

 

ある人から贈り物を貰うことがある。とても嬉しいと思う時、これは貰いすぎである時、いろいろ思うことはあるけれども、それは一旦置いておいて、お礼の手紙を書く。ありがとうございましたと言ったら、自分はひとまずそこで終わっているような気がする。返礼の義務感に焦ることもなく、何かあったら送ってあげようと思うことがあって、その時に贈り物をすればいいのだから。

昨日はその逆で、贈り物を返しますと言われているようで、なんだかむず痒い瞬間があったなと思う。

仲の良い友人に求めているのは、贈り物を受け取ったという返事だけだ。自分の行為を貸しにしたいのでもなく、ただ相手の声を聞かせてくれればそれでいいのだけれども、自分はそうなのだけれども、それを何かの返礼義務と表し己の返礼を遂行しようとしてくれなくても、構わないのだけれども。

 

かといっても、その人の声が聞けたことは嬉しかったし、心が安らいだことは言うまでもないことだ。けれど、自分の行為が果たして「貸付」のように捉えられているのだとしたら、とても寂しいことだとも思った。

金銭のやり取りみたいに、きっちり精算しなくてはならないという義務感のようなものに動かされて、あの人は自分に声をかけたんじゃ無いだろうかと、そんな風に勘ぐってしまって、嫌らしかった。そんな無粋なことを思いついては、ワインを飲んで流したけれども。

 

 

***

秋風が外で涼しげである。今から夕飯の買い出しに言って、新米のお供を選ばなくてはならない。これを何にするかに頭を使うことで、まったく過去の嫌らしい疑ぐりを、どこかに消し去ろうとしている。