タフネスと毒。

丁寧な暮らしに潜む、タフネスと毒。

守備位置だけが隣合せだった

f:id:cow_on_the_road:20170915234241j:image

やっと仕事が終わった。レイアウトを作るのは楽しいので、事務作業が終わらなくてどうしようというのではないから嬉しい疲れ。ただ、銭湯には行けなかった。

 

毎週会いたい友達がいるんだけど、もちろんそれは出来ないのだけど、まあ毎日誰かしらには会っているし、それでいいのかどうなのか。

 

人に会いたい時に記事を書く癖があってだな、それはただなんともし難い自己語りなわけだが、終電間際の電車に滑り込んで書いてるこれは、もう記事からして、酒臭い。

 

この1週間は全く落ち着いていたんだけど、それは久々に会った中学の友人が、たぶん中学の頃よりも、清々しい奴になっていたから。

そいつのことはずっと気にかけていたけれど、会いに行くのも声をかけるのも不精を極めていたので、まず、ずっと顔を見たかった。

人の印象が変わらないのは、たぶん相手も自分も一緒だ。こういう風に成長するだろう、という予測を研いで行くと、一緒に過ごさなくなる人でも人柄を頭の中で漸近させられると思っていたけど、それは間違いを含んでるとわかった。

苦しい生活だと言っていた。そうなのだろうなと思った。けれども、そうであることを訥々と話すこの姿がとても純粋な気がして、不当にも安心してしまった。あの人は東京に塗れているなんて、不純に人を上塗りしていたことをすごく恥じた。

 

かつて一緒に遊んだ形式を、今また再現できるかと言われたら自信がない。けれど、ああしてお酒が飲めるなら、あの時よりもすごく穏やかに過ごせるのだなと思った。

記憶が遠くなる一方で、遠のいていくその瞬間から、どうにかこうにか過ごしてきたそれぞれの姿が、ある時にふと重なると、まるで違う景色が見えることがあるんだな。出逢った人でこうした人がいたことを思い知らされるのは、荒野に草木が芽吹くあの映画みたいな再生の予感を伴うものだった。

 

今度会うのはいつなのか。相変わらず酒臭い電車が、真夜中の荒川を越えていく。

会おうと思えばまた会える距離にいて、まるで重ならないレイヤーを抱える我々の、愛しくて如何ともし難いつながりのひとつを、両の手で掬い上げる。我々を大事にしよう。