牛の歩み

のそりのそり、牛に育てられた人の痕跡を残す

わかりやすさと別のこと

最近「快眠度」を計測できるアプリを使って寝ることにしている。だらだらTwitterをチェックすることも少なくなったし、読んでいた本にあっさり付箋をつけることができるようになった気がして、効果があるっぽくて嬉しい。

それにも増して、生活を整えてくれているのは、部屋のあちこちにある造花であったり、IEKAで買ってきた観葉植物だろうと思う。植物が部屋にあるのは、けっこう大事だと思いはじめている。

 

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今日、図書館で2時間ぐらい勉強したら疲れてしまって、中島みゆきを3枚とデザインの本を借りて帰ってきてしまった。CDを取り込んでいる間に寄藤さんの『絵と言葉の一研究』を読み始めてしまったら、これが面白い。

デザインと、絵と言葉の関係について書いてあるかと思いきや「わかりやすさ」と「わからなさ」についての考察が、先ほどの「絵と言葉」の関係の上で展開されてる。途中に挟まる装丁のサンブルも考え方として役立つし、すごい本だった。買おう。

絵と言葉の一研究 「わかりやすい」デザインを考える

絵と言葉の一研究 「わかりやすい」デザインを考える

 

 

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で、別の本が読みたくて本八幡の本屋を探し回ったのが、今日のメインイベントのようになった。

結果、なかった。どうせ明日は神保町に行くのだから、東京堂でいいんだけど。あそこの揃え方が、江戸川区とか市川にあってもいいじゃないの。そう思ったんだけど。

でで、人文書とかビジネス関係の棚に必ずあるH田さんの書籍が、すごい目立っていた。韓国に謝りたいらしい。中を読んでみることにした。まえがきと、あとがきだけでも。

 

まえがきとあとがき、さらには中身を少しだけ読んだ。この人の本はもう読まないだろうな。だって感情のむき出し感が、史実とは関係なさすぎる。

史実として確からしいことを書くことと、自分の感情や信条の上で語ることは、別の仕事だと思う。それを一緒くたにごちゃ混ぜにした本は、つまらないし、粗野な気がしてる。知的な洗練がない。

それに「日本人が知らない事実を、いま語ろう」というのは、広告表現の技法のひとつであって、それが事実かどうかは誰にもわからない。誰も知らないことを知りたいっていうのは欲求としてあると思うけど、日本人が知らないことについて、本当かどうかは確かめられない。というか、本に書いてあることは大抵「みんな知らないこと」だ。じゃなきゃ興味なんて引くかよ。

さらに言うなら「マスコミが報道しない真実」っていうのも、おかしい。物事は隠蔽されていることを前提にする陰謀論は、隠蔽を暴露する人間が本当のことを述べているという確証はない。

それに、隠蔽していることを暴くことと、暴いたことが本当のことかどうかは、別のっことだ。そんな時間が必要なことよりも、そもそもなぜ、この人は陰謀論的に文章を組み立てているのか、話したがるのかを考える方が優先度が高い気がする。言いたいことを、このように言うのはなぜなのか。そこに意味があったら、たぶん大変なことだから。

史実を扱う以上、ことがどうあれ、この語り口はダメだ。同じ話題で別の本を読んだ方が良い気がした。韓国の学者が書いたペーパー、またアジア研究を専門にしている外国の研究者が書いたペーパー。多角的に見ると言うときに、この人だけの文章を読むのは、この人以外の場合でも、たぶんに間違っているんじゃないか。

 

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結構本屋でげんなりすることが多いんだけれど、その少し前に丸亀製麺でおいしいおいしいうどんを食べていたおかげで、かしわ天のうまさで、幸せな気分はけっこう続いた。よかった。

 

明日は、久しぶりにあう人たちに会う。朝早く起きて、出かけよう。

 

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