A slow walking cow.

牛に育てられた人間の有象やら無象やら




本当ですか

毎日が忙しいばかりか、雑務をこなさなくてはならないから、編集の仕事に100%になれるわけでもなく、悶々としている。

で、上司は「みんなでこの課を盛り上げて行こうな」とか言うけれど、電話対応もまるでしないし、だから余計な注文とかもしない。雑務から距離を取ってる。

でで、雑務をこなしている連中に向かって「みんなでやろうや」的な、自分が小5の時に嫌いになった「団結」のマジックワードに回帰して満足よろしく、なんとなく言った気になってる。顔が気持ち悪い。

 

 

で、それが嫌なら別にそれだけで良いのだけども、何が嫌かというと、上司がお高いせいで、自分の本への思い入れが、磨耗しだしていることだ。なんだろう、疲れてそれどこじゃないんですけど、というような、一見クールな諦めに似ているやつ。

売れる本が出ないと食えない仕組みすら、疑われるべきだと思う昨今、今の仕事からそれを疑ってかかる気が満々であった。

で、紙と印刷が好きで好きでもう、という理由で会社に入ったのに、今やまったく違う部署で編集・営業!やった!と思いきや、雑務雑務を「みんなでの建前」の中で、それを声高に叫ぶ人らが喧しい。

 

世の中理不尽なことばかりだぜ、と世相を呪ってみたところで腹は減るし疲れるし、挙句1日の果てには気力の薄いユーチューブ鑑賞とかが待ってる始末。

 

こりゃマズい。

 

本て、なんだっけ。何を思い出せば良いのだっけ。こんなに裕福な物に、自分はどう向き合えばいいのだっけ。

売れる本を作るのではなく、本を作って売らなくてはならない。その感触を確かめたいのに、結局それは上司の怠慢なる、どこにでもありふれた障害によって、自分が鈍磨になってく。

 

ガッデム。

 

***

本屋が無くなって珈琲屋になっても、本屋が本棚屋ぐらいにまで小さくなっても、それらが宇宙的な広がりを訴えているには変わりない。

また、人々は読まなくなったのではない。毎日、何かしらを読み流している。2ちゃん、ネット記事、漫画とかとかとか。

 

若者は、だからスマホやパソコンの向こう側を見てるし、それは仕事帰りのおっちゃんも、化粧がドロドロのおばはんも変わりない。別に読む物が出来た、だけじゃないか。

 

であるとして、では本に出来ることはなんだろうではなくて、本のある空間に出来ることはなんだろうというのが、最近の問いかけなのだろうな。本のある空間で騙し騙し、人々を迷い込ませる作戦。

 

本のある空間の感じ。それをもっと詰めて行きてぇ。名古屋にカルロバができたのって、きっとそういうことなんだよな。

しかし、分かりきってるな、これ。いやいや、それは本当ですか? ひとまずはここまで。電車から、降りなくちゃ。