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牛の歩み

のそりのそり、牛に育てられた人の痕跡を残す

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このブログについて

通常運転

久々に会う友人と会う時、いつも顔が歪んでいる気がする。

 

 

演奏会の本番があったり、突然の異動がついに現実となったりで、書く時間を取れなかった。毎日15分でもデスクに向かうことができればいいのに、それも出来なかったぐらいには、考える容積が、その他のことで満たされてしまっていた。

 

土曜日に、高校の友人と会う約束をしていた。朝早く起きて、いきつけのパン屋さんでサンドイッチを手に入れる。春もうららの陽光の下を歩いて、地下へ潜って待ち合わせの場所に向かう。

友人は少し顔が丸くなっていて、確かに久々に会う気がした。彼は高校の頃の親しい友人で、大学が同じだった。

 

本当に仲の良い人間と会う時には「昨日会った時のような感じ」がすることは、確かに体験済みではある。けれど、こうして久々に会うことで、今までのことがある程度リセットされている感じになるのは、別に悪いことではないと思った。付き合いが長いと、いい思い出だけが蓄積されていくのではないから。

 

赤坂の神社にお参りをして、築地や上野を歩いた。

赤坂御苑の若葉がキラキラしていた。築地や上野は観光客で混み合っていた。観光客、自分たちもそうだと思った。東京に住んではいるけれど、この二人は田舎から上京してきた若い二人だった。高校の頃、あと二人を連れて東京に遊びに行ったのを思い出した。

 

諸々が済んだ後、お互いが一本で帰れる場所を選んで、夕ご飯を食べた。焼肉屋に入ろうということになって、入った店に失敗した。お肉はどれもいまいちで、ご飯はパサパサで美味しくない。話もそこそこにしか盛り上がらないし、注文は間違えられるし。

 

昼ごはんにと選んだ店も、行ってみたら今日は休みだし、しゃあないから「なか卯」となったのだった。思えば、互いの判断を折中することが苦手な関係だった。それぞれが独断で決めたことの、方向が一緒だったことはあっても。美味しくない肉を、ジンジャーハイで流し込んだ後で、笑いが漏れてしまったな、きっと。

 

こういう人と知り合いになるなんて、たぶんこの先ありえないだろうと思った。

学校であったからこそ、偶々同じ部活だったからこそなのかもしれない。関わりがある程度強制されていたところで会った人間が、手を組まなくてはならなかった状況が、今こうして焼肉を食べている状況に繋がる何かを与え続けてきた。高校の3年は、そういう時間でもあったのかもしれない。

 

彼は肉を焦がしたし、ホルモンを嫌がって食べなかった。そんなやつから、元気が無くなりそうな時に、もう一度どこかに行こう。おいしい店に。

こいつの電池が切れる時がわかるくらい、まだそれなりの知り合いだと自分に言い聞かせながら、彼と別れて家路についた。

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