牛の歩み

のそりのそり、牛に育てられた人の痕跡を残す

東京で消耗してる?

部屋の片付けをしようと思っても、気が乗らなくてやめた。机の上はなんとなく整理できたけれど、要るのか要らないのかはっきりしない書類が、まばらに積んである状態はそのままだ。これを書いたら、英語を勉強して、本を読んで、走りにいくんだ。今日はとてもあたたかだった。

 

***

 

大学へ入学するための手続きをしながら、引き継ぎのための資料を作っていた。

引き継ぎの内容を見ておいてねと、次にこの部署へやってくる同い年の男に声をかけて、返事をもらったのは一週間前のこと。「わかりました!」と威勢の良かった応答も、今では前世の記憶ぐらいに遠く感じる。

東京で消耗していると言っていた人がいたよね。その方もブログを書いていたのだった。熱心に読んでいたわけでもないけれど、東京で生きることに疲れたなあと、なんとなく独りで考え込んでいる若者はきっと、どこかのタイミングで彼の囁きを聞いているはずだ。あの、少しだけ首をかしげたようなイメージで。

 

***

 

本を読むというのは、どういうことだろうと考えるにあたって、己の生活の充実さ加減が、すごく影響しているらしいことに気がついた。ちょっとどうかと思うくらい、考えることは、生活に影響されている。

よりよい生活とはなんだろう。丁寧な生活とはなんだろう。

丁寧な暮らしをしたいがために、それにお金をかけていたのは、ちょうど1年前くらい、会社勤めを始め出したころだったか。丁寧な料理を作って、漬物をつけておくなどして。それが功を奏したのかどうかは知らない。ただ、漬物は美味しかったし、料理もそれなりにした。

で、私からは以上です。という感じ。あらゆる瞬間が、丁寧であるはずがない。決定的に重要なのは、生活の結果をどのように編集して報告するかにかかっているので、それが上手いか下手かで、生活のきめ細やかさが決まる。

 

丁寧な暮らしするとは。

 

BRUTUSのような紙面を構成したり、そのようなブログを書いたりする。インスタにはやや青く加工された写真がアップされ、遠方の友人たちは、それにいいねする。同じような暮らしができないものかと、遠くの友人たちは、たとえば花を買って生けたりする。丁寧な暮らしは、花を買って生けることである。

そういうことかしら。洗濯機を回すのが面倒であること、トイレ掃除がおろそかになること、洗い物をすっぽかしすぎて、シンクに山を作ること。それは、丁寧な暮らしではないのかな。それは写真にはならない。丁寧な暮らしっていうのは、目的の決まった小綺麗な暮らしのことかしら。

ワンタッチの加工でそれらしく表現できる、暮らし。それを目指せばいいのかしら。

 

それの答え合わせをするには。

今すぐコンビニへかけて言って、雑誌を立ち読みすればいい。暮らし系の雑誌は、コンビニでこそ溢れているのだから、そこに答えがある。雑誌のように加工してダメなら、綺麗なくらしでもないし、丁寧な暮らしでもない。アウトだ。今すぐ部屋を掃除しなくてはならない。レイアウトを、家具をチェンジしなくてはならない。

 

...。そういう脅迫的なレベルまで至らなくても。綺麗な暮らし、丁寧な暮らし、きちんと生活すること。それって一体なんですか。言葉遊びである以外に、それらは何かを指し示すことができますか。

暮らしが丁寧であることの、実態のなさに気をつけたい。丁寧に暮らしている連中が、日々の営みの結果として出力している「丁寧さ」に、十分な注意を払って生きていく。丁寧な生き方を、丁寧に疑ってかかる。

 

そうしないと、本を読んでも面白くないよねっていう、少しだけ首をかしげたイメージ。消耗しながら、蓄えて、暮らしを編集してかかる。ただし、ここは東京である。