牛の歩み

のそりのそり、牛に育てられた人の痕跡を残す

センチメンタル

センチメンタル オン 帰りの電車。良いメガネを買うべくお金を貯めているし、それはあるひととの約束でもあった。小学生のころに視力が萎んでから、メガネを使わなくてはならなくなり、それがすごく嫌だったわけですが。

それが今や、アイウェアよろしくメガネは己の位置を高めてよろし。メガネで虐められることもないだろう、いじめっ子を睨み返せるもっと広い社会を既に持ってるんだから。

 

さてそんな頃の思い出は、人に会うことで強まっていく。でもやはり歪になっていくのな、思い出ったらばってのが、センチメンタルの内容です。

小学生の頃を確認する作業が、あまりに現在に根ざしていて、今が浮き彫りになって行くのですが、その現在とやらがあまりに肌感覚なのに対して、小学生の頃の記憶は歪だったものとして、幻想だったよねと改められていく、それは頭の中で起こる。

 

なんてなことが起きそうで、慌てようにも、それを回避させるのは須賀敦子さんのエッセイなのだった。拠り所として、再び生活のラインを包み出すというのが、本を手元に置く理由だ。書かれたものが自由に読まれることを許すものが、やっぱり近くにあって欲しいです。

 

何回も人を嫌いになるんだけど、その人を好意的に思うことを、その人の好意的な印象を重ねることだと思うと、とても厄介だと気がついた。男女を問わず。一緒にいることが積み重なることを、好意的なこととして受け止めること、享受することは、即ちそれを理解することではないのだな。

 

わからなさがあるとしたら、それを享受しなくても良い人と、そうでない人といるけど、この間会ったばかりの人たちは、そのどちらに当たるのかわからない。

この不理解は堂々巡りだけれども、あの人が人生からとても遠いこと、いや、近くではないことを解るのは、さっき書いたような肌の感覚としてのそれでした。

 

確かに小さかったことを確認する現在の残酷さに絶望することができるのは、紛れもなく確認を共にする人らだったのか。ただ、時間は積み重なっているし、それは手繰り寄せて使えなくても。

 

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