うしのあゆみ

牛に育てられた人間の有象やら無象やら




Yesterday in 宇都宮

気持ちよく寝れているかどうかって、結局は覚醒した後のお昼ぐらいに、なんとなく「あ、今日はよく寝れたな」とかって思い直してようやく判別がつくことだよなと、まったく例に漏れない形で、午後に思い直している。

昨日は友人の結婚式で、人生で初めて「結婚式」を体験してきたのだけれども、幸福感があまりに濃密で、すごかった。「すごい」は、理解とか腑に落ちるとかではない体験が己にドッカーン!と来るやつで、終始その感じを浴び続けていた昨日は、ちょっとずつ、日常の己では無かった感じがある。

 

ぞろぞろとおきて、机の上を片付けた。不必要なDMを大きな袋に入れて言って、引き出物が入っていた桐箱を棚にして、その上に本を飾った。植物の位置を変えたり、軽く積もった埃を除いたり。

外ではつらつらと雨が降っていて、わずかに開けた窓から冷気が足元まで伝わってくる感じがある。定期購読しているTIMEのタワーがけっこうな厚みを持ってきたので、これからこれらを読むとして、少しお腹が空いた。朝は昨日のお土産の中に入っていたバウムクーヘンと、自分で淹れたコーヒーだった。

 

TOEICの準備をしようとか、デザインの勉強をしようとかって、結局何を目指しているのかわからなくて、その状態を「人が行為すること」の状態として想像できなくて、霧の向こうに目指すものがあるみたいな感じがずっと続いている。

会社を辞めたいとは日常的に考えることではあるけれども、それがどういう方向としてありえるか、次に目指せる環境はどういうものがあるのかなんていう、移動した場所ごと人ごとを想像できる力が欲しい。

一点しか持っていなかった企画は手を離れつつあり、来年の企画を考え始める前に、この閉塞した状況をどうやったら脱出できるのかを日々探している。本当に探しているのだけれども、探し物はなんですか?状態になっていて、これじゃ自分探しでキモいなって感じで、ふりだしに戻る。

 

さて、昨日久しぶりに宇都宮の街を歩いたのだけれども、自分が高校生の頃ぐらいの時より、ちょっとずつ変わっていたようだった。オリオン通りには、真新しいウッド調のカフェが何軒ができている。展示の仕方がなんとなく若者よりになっている。なんと、Paul Smithがある。

そういう変化に驚きはするのだけれども、今はまだ片付けたての机のように、IKEAでディスプレイされている部屋のように、誰のものでもない空間な気がした。これから街で暮らす人々に合わせて、このカフェは変わっていくのだろうなって気がした。

 

宇都宮でずっと続いているお店があってすごい。新しい餃子屋ができていてすごい。当たり前に「廃れている」と思っていた宇都宮は、そういう思考停止した者たちを、当たり前のように放っておいたのかもしれなかった。

雨が止まない外を見ながら、遅めの昼ごはんを作らなくちゃならない。これでおしまい。