Ammuu

都市と田舎の間で、考えながら暮らしています。

寿命

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九州のある本屋から出ている雑誌がある。本屋の店主が編んだ文章の数々は、それぞれがバラバラな方向を見ているようで、瞳に捉えている物は同じような感じがして好きだ。

その中に、猫の寿命についての文章があった。

 

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野良猫が居着き、過ごし、消えていく。小さい頃、それを繰り返した。猫は死に際を見せないのだ。どこかに消えて、記憶からも消えてしまうか、知らない間に、居間で事切れているか。

一匹だけ、腕の中で看取った猫がいた。真っ黒な黒猫だった。喧嘩をしないオスの猫だった。寡黙だった。勉強に勤しんでいるときに部屋にきて、膝の上にずっと乗っているような猫だった。おとなしかった。枕の隣には、そいつが眠れるだけの場所を作って、お互いに頭を寄せて寝ていた。

ある晩のことだった。そいつは自分よりも早く、枕の側に来ていた。息が荒くなっていることを気にかけはしたものの、遅かった。翌日の午後、急速に衰えて、歩けなくなって、それでも死に際を見せない本能のために、立ち上がろうとして、それも無理になって、自分の腕の中に収まることを許して、最期に、腕に力を込め、逝ってしまった。全身の力を、自分の腕に託しているみたいだった。

 

こんなにも死が近い。それからも、猫と一緒に暮らして来た。最期のやつを看取ったのは、昨年末。小さなメス猫だった。古い剣客のような名前をもらって、それを最期まで気にしていないように、飄々と生きた。臆病だった。でも、たぶん誰よりも人間が好きだった。とても優しい猫だった。

もう臨終だった。自分が実家に帰って来るまで、どうにか耐えていたみたいな目をしていた。恐ろしく軽くなっていた。生命が入っているとは思えなかった。ただの器のようになってしまっていた。

こたつをぬるく温めておいてやった。ここで逝ってねと、声をかけた。彼女はわずかに口を動かしたようだった。仕事から戻ると、最期に見たときと同じ姿勢のまま、息だけをしていなかった。

 

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様々なものの寿命を考えた。猫の寿命、関係の寿命、自分の寿命。ある愛の終わり。感情の終わり。始まったときを忘れてしまっても、終わりだけは克明に記憶される。そのような終わり。

あっけない終わり。気がついたら人生から消えてなくなっていた終わり。記憶をたどるように、そのものの終わりをなぞっていく、そのものの終わり。

始まりを期待できても、終わりは期待できない。勝手に終わる。こちらが続いていると思っているものは、ある日突然、あるいは兆しを残しながら、終わる。終わってしまう。終わりやがる。終わってくれる。おわる。

 

 

きっぱりとなど、終われない。腐りながら、人間は終わる。小さな出来事がその終わりを作っていく。タンパク質が分解されるように、だんだんと私たちの関係も、土に還る。そんな終わり。

私たちは、終わりを抱えて、忘れて、思い出す。終わった瞬間から、終わりは始まっていく。その都度、私たちは、終わりを呼び寄せて、何かを映そうとする。もういない人、動物、記憶、関係、建物。

 

廊下を走るときの、淡い記憶。図書館で読んだ本の記憶。数学の問題を隣で解いていた先輩の息遣い。当たり前だと思っていた世界が、急に狭くなった、これまでの終わり。

 

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いつだって自分は、何かを嫌いながら、それを終えられずに生きてきたのかもしれない。何かを終える勇気すら持てず、人々に因縁をつけながら、その縁を憎みながらも、終わりを宣告できなかった。

何かを終わらせることができない。小さな菌を忍ばせて、土に還させてあげることができない。あの黒猫は、桜の下に眠った。春には花びらを咲かせる。

終えるのだという兆し。燃えているものの消失を予感し、それを諦め、受容し、寿ぐための命。そうしたものを、自分は忘れていた。あの猫が残した力の痕跡は、体にくっきりと刻まれている。いくつもの終わりを見て、これから死にゆく動物たちを見て、背後に、体そのものに、明日やってくる時間の中に、救いを見る。

 

誰も憎まない、蔑まない、感情的にならない。

無理だ。

だが、世界に怒りでもって私を表明しても、私に終わりを示したものたちに報いることはできない。彼らを見て、経験して、身体に残っているいくつもの終わりを、私は軽んじるべきではない。終われない因縁を持ちながら、自分の終末を待つべきではないのだ。

誰も彼もを許したい。許せないやつのことなど、忘れてしまいたい。

それができない。できない。でも、終わった者たちがいることは確かだ。自分がかつて、終えてしまった者たち、終わって欲しくなかった終わり。そういう者たちが、自分を引き止める。

彼らはやさしい。果てのない憎悪を追い払う、終わったものたちの記憶。黒猫の残した無言の断末魔と、力の記憶は、懸命なものが放つ刻まれ方をした。土地を離れる、そこに居着く。土地を離れる、そこに居着く。最期に声を聞いてくれる者を、側に置いておく。やさしい声をかけてあげる。自分がただの器になっても。それでいいのだと。

 

綺麗に終われないかもしれない。だんだんと終わるかもしれない。でも終わる。終わってしまうのだ。誰かに見守れながら。誰も見ていない路地裏で。英雄でなくても。誰も語ることがなくとも。

そこに何を見れるのだろう。終わった瞬間、私はそれを抱きしめることができるだろうか。終わりを迎える瞬間に、祝福を。災いがないように。無事に空に、土に、還って生きますように。そして、このどうしようもない距離に。何者かが終わったあとも続く私の人生に、そのものを迎え入れる。終わりを携えて生きていく。これからを寿ぐために。心臓が脈動する今を、終わりを迎えたものたちに。